私達は皆、幸せになることを目的に生きています
アンネ・フランク
アンネ・フランクはユダヤ系ドイツ人としてドイツに生まれました。ナチス政権によりユダヤ人が迫害され、オランダのアムステルダムで隠れ家生活を送ることになります。
当時アンネは13歳。アンネ一家と他合わせて8名のユダヤ人が隠れ家で生活していました。アンネは父親のオットーから貰った日記に、隠れ家での日々の生活の様子を綴ります。アムステルダムでの隠れ家生活は2年続きました。
ナチスに見つかり収容所に送られたアンネは、チフスにより15歳で生涯を終えました。
隠れ家での生活中に綴られた「アンネの日記」は戦後、唯一生き残った父オットーによって出版されました。
生前は作家かジャーナリストになりたかったというアンネ。アンネの日記は多くの言語で出版され、舞台作品や映画の題材になるなど現在も世界中で親しまれています。
第二次世界大戦中、ユダヤ人の虐殺や、ナチスに見つかるかもしれないという恐怖を感じながらも、前向きな名言を残しているアンネ。
今回の名言の他にも「たとえ嫌なことばかりでも、人間の本性はやっぱり善なのだということを私は今も信じている」という言葉を残しています。
過酷な状況にいたからこそ、人間に対して希望を持ちたい、そう思うことがアンネの生きる力になっていたのかもしれません。
私も幸せになりたいと思って生きています。きっと皆さんも同じなのではないでしょうか。「人は幸せになることを目的に生きている」当たり前に感じますが、現実ではそう思えないという場面もあります。
例えば、自分にとって嫌なことをしてくる人や、何であんなことするんだろう?と理解に苦しむ人に対して。
人の幸せの基準はそれぞれだし、性格や能力は一人ひとり違うので、お互いに理解しづらいということもあると思います。
自分に嫌なことをしてくる人も、その人なりの正義感からしていたり、一見理解できない行動も、その人にとっては幸せを感じることだったり。幸せになりたいけど方法が分からなくて、どうしようも無くもがいている途中だったり…
相手のことを100%理解出来なくても、「あの人も幸せになりたいと思って生きているんだな」と思ったら、少し心が緩むかもしれません。
自分が辛い状況だとイライラしたり、人に対する目も厳しくなりがちですが、そんなときにはこの言葉を思い出したいと思います。
インドネシア国内の写真です。(フローレス島)
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